金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」を語るなら…謎・不思議編
城東小学校金管バンド・バトンは50年を迎え、50年ぶんの謎・不思議?!がいろいろと出現してきました。
千古のなぞ?!とまでは言いませんが…「いつ?」「どこで?」「どなたが?」「どうして?」と思うことがいくつか出てきたのです。これらの謎・不思議な事柄も金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」を語るなら、欠かせません。
では、その謎・不思議を紹介していきましょう!
最初は「チック・タック・トゥー」の名称と「エンブレム」です。
1969年(昭和44年)度に金管バンド・バトン隊編成になり、1970年(昭和45年)度に大阪万国博覧会に出演しました。18年経った1988年(昭和63年)度に「金管バンド・バトン チック・タック・トゥー」の名称になったそうです。「どなたが?」「どのように?」この名称を付けたのでしょうか?
そして、「チック・タック・トゥー」の名称になってから作られたと思われる「エンブレム」は「いつ?1988年度に?」「それとももう少しあと?」「どなたかが作成してくださったのか?」大きな謎です。
次に、「音符のチック・タック・トゥーJ・K・B・Bマーク」です。
今もなお、金管バンド・バトンの練習月間予定表にシンボルマークのように使っていますこのマークも「チック・タック・トゥー」の名称が付いていますので、1988年度以降に「どなたが?」「どういうことで?」「どのように?」「作ったのか?」ぜひ知りたいです。
※50周年ロゴマークは50年を迎えた今年度に出来ました。昨年度のバトン卒業生の保護者の方が作成してくださいました。とても可愛いロゴマークです。
最後は「ユニホーム」と「帽子」です。
Vol.5「ユニホームのお話」でも書かれていましたが、OBOGさんが着ておられた当時の「ユニホーム」は保護者の方々の手によって作られたものだそうです。そして今の「ユニホーム」になるまで、実はいろいろな「ユニホーム」があったようなのです。
これらの「ユニホーム」そして「帽子」を「どなたが?」「デザインは?」「どのように?」
その当時の保護者の方々の手により作成されたのか?それともどこかに発注されたのか?など、今ではもう誰も知らない不思議なのです。
城東小学校金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」の謎・不思議は、これだけではないように思います。まだまだわからない事がこれからも出現してきそうです。
ここで、ご紹介しました謎・不思議について、何かご存知の方は、コメント、または、思い出募集のフォーラムにお話、ご連絡をくださいますようお願いいたします。コンサート当日までに、いろいろな謎・不思議についてわかった事や情報をいただきましたら、またお伝えしたい思っています。
そして、コンサートの会場で想い出の品々を展示する企画を考えています。歴代のユニホームの実物が展示できたら…。
お写真・映像では、1970年の大阪万国博覧会の野外音楽堂での演奏演技を撮影されているものを探しています。
「ユニホーム」「お写真・映像」をお持ちのOBOGの方、ご連絡をくださいますよう、よろしくお願い申しあげます。
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