金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」を語るなら…人物編
今現在!金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」は、講師の先生をはじめ、後援会の方々、そして地域の皆さま、学校の応援で支えられております。また、今もなお、子どもたちがいつでもどこでも、輝いていられるのは50年を繋いでくださった大勢のOB・OGさんのおかげでもあります。
その大勢の関係者の中でも、金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」の創部について語るとき、一番欠かせない人物それは『内藤 孝夫先生』です。 ※高山先生と川口先生のインタビューにも登場されています。
内藤先生こそが、金管バンド・バトン「チック・タック・トゥー」を城東区に誕生させたのです。
内藤先生と一緒にこの50年を迎えることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。 しかし、それはもう叶いません。本当に残念です。
内藤先生のお書きになられた自叙伝 『塞翁が馬』 を拝見し、いろいろなお話を聞きたいと、心の底から思いました。
しかし、内藤先生と一緒に金管バンド・バトン創世記を支えてくださった方々のお話をきくことなら可能では?!
『塞翁が馬』には、気になる方々がたくさん登場します。今、どちらで何をされているのか、今年が創部50年であることをご存じなのか…叶うならば、ぜひ、お礼をお伝えしたいものです。
まずは『8名の女の子たち』 です。50年前に、この方たちが内藤先生に「茶話会でバトンがしたい!」と相談しなければ、バトン隊は始まりませんでした。その茶話会でのバトンが大喝采を浴びて、翌年に「バトン部」ができたのですから…
この8名の女の子たちにバトンの基本を教えてくださったのは、内藤先生と同じ学年を担任されていた『女性の先生』。最初のバトンの先生なります。
その後バトン隊を指導してくださる専門家を探しているときに、校区に住む方から、バトンの指導ができる身内がいると聞き依頼、快く引き受けていただいた『女性の方』。
また、当時 内藤先生 が親しくしていた音楽の先生『かわむら先生』。このお二人が協力しあい、子どもたちを集めてトランペット鼓隊がスタートしたそうです。
※高山先生のインタビューにも登場されています。この時に集結した第一期生に、50周年記念行事実行委員の高山先生、渡邊勲さん、奈良眞作さんがおられました。
さらに、内藤先生 に「トランペットをしませんか?」と声をかけた『酒井 正雄教頭先生』、内藤先生 の背中を押し、支えてくださった当時の校長先生『植木 栄一校長先生』『森口 肇校長先生』。この方々は、金管バンド・バトンを誕生させるきっかけを与えてくださったということになります。
内藤先生の『塞翁が馬』から、創部の頃に尽力された方々をご紹介させていただきましたが、これは50年の歴史の中ではほんの一部の方々です。もっともっとたくさんの方々のおかげで、50年を迎えられたのだと思います。
かつてご指導いただいた先生方、お世話になった方、一緒に演奏・演技をした同級生や先輩後輩など、皆さまからの情報をお待ちしています。
懐かしい話、想い出をぜひお聞かせください。コメントまたは思い出募集のフォーラムにご連絡をお願いします。
『50年ぶんの仲間とともに輝こう!!』
というキャッチフレーズのもとに、たくさんの方々と一緒に50周年をお祝い出来たらと思っています。
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